矢太郎(下長崎村高野平郷 矢太郎)長崎の名旅館が残す地名

矢太樓といえば、長崎市民なら誰でも知っている名旅館、今日は旅館名で残る地名について。

079.jpg

写真は浜の町からみた矢太樓(山の上に聳える巨大旅館)、風頭の一角にあります。ちなみに矢太樓は昭和29年に建てられ名前は公募し、島原の方がこの地にあった地名より付けられたそうです。

079-2.jpg

こちらも浜の町から見た矢太郎方面、路面電車とのコラボ、矢太樓へは長崎バス風頭行きに乗り終点が矢太郎になります。長崎バス1日乗車券の範囲内になります。

079-3.jpg

こちらは同じ高野平郷(現高平町)弁慶石付近よりみた矢太郎、元々矢太樓(ヤタロウイン)の由来が地名だったとは恥ずかしながら長崎の地名を調べるようになるまで知りませんでしたが(たぶん創業者の名前かと思っていました)、お陰で当て字は多少違いますが矢太郎の地名が長崎に残り続けることになっていることは私のよな地名好きには大変有難いことです。同じようなことで思い出すのは最北の稚内市富士見にある旅館チカップです。

079-5.jpg

写真は、稚内市富士見附近、旅館チカップの看板が見えます。利尻が見える市内の西海岸にあり昔はチカップカルシ、その後、短くチカップと呼ばれた地ですが近年、つまらない富士見というありきたり地名に改悪されましたが、宿名が地名の記憶を残してくれている点は矢太郎と同じです。

地名の矢太郎ですが伊能大図や測量日記にも記載はありません、また長崎名勝図絵にも風頭附近は詳しく紹介されているものの矢太郎に関する記述はみられません。矢太郎の地名の由来を考えたいと思います。矢太郎、そのまま人名のような地名ですので矢太郎さんが住んでいたいたので地名として残った可能性もあるかもしれませんが可能性は低いように思えます。位置的には江戸期より栄える浜の町より良く見える山ですので山名として長崎町人が我が子のように親しんで呼んでいたような気がします。

例えば長崎で言えば八郎岳や日本全国には太郎山といった山名があるように人間のように親しみを込めて呼んでいた山名が地名として残っていたように思えます。ではなぜ矢太郎かいえば、お隣に矢櫃という地名がありましたのでその矢に太郎を合わせて矢太郎になったの可能性はありそうですが矢太郎のはっきりした由来は残念ながら不明です。

今日は旅館名に残る矢太郎のおはなしでした。

補足、以前高野平郷で紹介した早坂ですが実際は茂木村木場名になります。私の勘違いでした、お詫びして訂正いたします。

この記事へのコメント