樫ノ久保(村松村西海郷 樫ノ久保)凋落するローカルバス停

もう20年近く前の話ですが、この味わいあるバス停を見て思わず友人の車を降りて写真を撮ったことを思い出します。今日は西彼杵半島の山間部にある樫ノ久保のおはなしです。

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写真は樫ノ久保バス停、現在は写真のある待合所の方にはバス停すらなく反対側にポールのみのバス停があるだけです。周囲は樹木に囲まれ住宅すら見えないうえにあの味わいある待合所、雨の降る夜にこの待合室で長崎バスが来るのを待つのはちょっと勇気が必要な雰囲気でしたので強く印象に残りました。あの頃は今ではとても考えられませんが1時間に1本ほどバスが走り、週末には市内から樫の久保行きのバスもあり、私がこの地名を知るきっかけも樫の久保行きのバスを見たり利用したことがあるからでした。

この樫の久保が走っている路線は近年少しづつ削減され、今や市内からは3本のみと一級のローカル線ですが新地ターミナル発の始発バスが未だに樫の久保経由の石原行きで残っていることが過去の栄光を伝えています。以前は大瀬戸行きのバスはこちらの西海経由(現名称 樫の久保経由)でしたが滑石トンネル開通で畝刈経由に変更され、こちらは石原行きに短縮される形で残っていたようです。(夕方に以前は黒崎行きが残っていました)

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写真は根室本線東鹿越駅、なんとなくですが鉄道に例えれば、かっては幹線として賑わった路線がバイパス線(石勝線)の開通でローカル線に凋落し、廃止が決まった(バス転換予定)根室本線の富良野~新得間に似ています。

こちらの路線はコロナ渦で更に利用が減っていると思われますが、もともとこの区間、何度も利用したことがありますが平床~樫の久保~東上間は片手ほどしか利用しているのをみたことがないぐらいですので3月の長崎バスダイヤ改正でどのようになるか今後も含め気になる区間ではあります。途中の道は随分以前より広くはなりましたが秘境感すら味わえるバス路線です♪

さて、話がそれましたが樫ノ久保の地名の由来を考えたいと思います。山間部ですので伊能大図や測量日記にも記載がない地名です。まず樫ですが照葉樹である樫の木が由来になった可能性と近くに川が流れていますので川岸が短縮され当て字に樫の字が当てられた2つの可能性が高いと考えられます。久保は恐らく地形的に窪地になっていることが由来になったと考えられます。

したがって樫ノ久保は、樫の木が多い窪地や川岸近くの窪地が地名の由来と考えられます。

今日は樫ノ久保のおはなしでした。

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