釜田(長与村高田郷 釜田)無人駅になった道ノ尾駅は被爆遺構駅舎

3月のJRダイヤ改正で無人駅になった道ノ尾駅はご存じの方も多いと思いますが長崎市葉山町と長与町に挟まれた境に駅があります。今日は道ノ尾駅のある長与側の地名についてのおはなしです。

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写真は道ノ尾駅と今はなき急行色のキハ66・67、境界は駅舎がある方は長与町域内でホームの南側などが長崎市内のようです。(スシローさんはぎりぎり長崎市内)、今回の改正で残念ながら無人駅になったものの去年より美味しそうなパン屋さんブール道ノ尾駅店ができたようですので今後もぜひ賑わやかな駅として愛される木造駅舎になってほしいものです。

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こちらも道ノ尾とシーサイドライナー色のキハ66・67、長与高田郷より撮影、高い建物さへなければ正面は稲佐山になります。また国鉄時代は交換可能駅だったことが分かります。旧線側にある道ノ尾駅ですが長与駅までは長崎駅から区間列車もあるので割と便利です、バスも道ノ尾駅前に乗り入れはしませんが市内から多数運行されています。

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道ノ尾駅の駅舎と言えば、大正時代に建てられた和風の木造駅舎が魅力的ですが原爆投下時に道ノ尾駅は救難列車の停車駅や臨時救護所として役割を果たした歴史があります。ちなみに救難列車は音無踏切付近にある照圓寺付近で被災者を収容し諫早や大村、川棚の病院へ輸送したようです。投下された9日も4往復もしたことは国鉄職員の必死な努力を教えてくれます。

さてこの道ノ尾駅のある長与側の地名が高田郷釜田になります。高田郷内にある地名ですので伊能大図には記載がなく、伊能忠敬の測量日記にも時津街道を通っていますが地名の記載はありませんが駅前を流れる大井手川(平宗川)の記載はあります。

小字地名の釜田ですが釜は崖に洞穴や川淵に使われる場合もありますが釜田の場合は恐らく植物の蒲が当て字に釜が当てられたものと思われます。蒲は別名が水草というように水辺に生える植物でむしろなどに使われていました。大井手川が流れており、この周辺は浦上水源地建設前から大井手川沿いが稲田が多くあった地域ですので、恐らく釜田は蒲が多く生えている稲作地域だったことが地名の由来になったと考えられます。東京には蒲田の地名がありますし、当て字違いでは鎌田の地名もあります。

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こちらは明治34年発行の陸測図「長崎」より(今昔マップ on the webより)長与村高田郷釜田(長与町高田郷)周辺の地形図です。開業したばかりの道ノ尾駅周辺には大井手川沿いに田んぼマークがあります。まだ浦上水源地ができる前の時代です。

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上記写真は2010年に撮影された長与村高田郷 釜田(長与町高田郷・長崎市葉山町附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。現在は明治期と違い田んぼはなくなり住宅地になっています。また浦上水源地ができています。稗木場もすっかり自由ヶ丘として開発されています。

今日は道ノ尾駅のある釜田のおはなしでした。

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