
相川バス停からは、美しい角力灘の風景が広がっています。以前に比べればバスの本数は減りましたが1時間に1本は残るでしょうから相川まではそれほど不便な場所ではありません。(相川より先、大見崎方面は極端に本数が減ります。)、バス停の真下に流れるのが地名の由来になった相川(河川)の河口部になります。

目線を変えれば神楽島も見えますが、防波堤でみずらいのが難点です。

海側からみた相川集落と長崎バス、いまのところ日中は城栄町経由と春木町経由の1時間2本程度運行されていますが今後は分かりませんが増えることはないでしょう。

相川郷ですが相川の流れに沿う形で相川郷と大崎郷(現、相川町、見崎町)の境界となっていることから長崎バスの左手に見える家屋は大崎郷内(見崎町)になります。
相川の地名といえば、全国的には佐渡金山で有名な佐渡にある港町として有名ですが、外海の神浦と雪ノ浦の間にも相川があります。伊能大図にも記載がありますし、測量日記にはこの相川で小休止したことや川幅の記載があります。また大村郷村記には相川浦、海辺に漁家五十五軒といった記載があります。相川の地名の由来を考えたいと思います。外海にある相川も同様ですが、どちらも村や郷境にあります、このことから相川の相は相対する意味や境界の間を流れる意味から相川となったと考えられます。

上記写真は2010年に撮影された式見村 相川郷(長崎市相川町・見崎町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
今日は式見にある相川のおはなしでした。
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