写真は重篭より見た昼帰附近、山麓が小字地名の昼帰附近になります。山手はまた別の小字地名となっています、山の名は茂木山で、優しい美しい山容ですが、山頂からは残念ながら付近の樹木しか見えないようです。
市内から長崎バスの飯香の浦行きに乗って30分弱の重篭が最寄りバス停でこしき岩の手前の位置にあります。
昼帰(ひるがえり)、やはり仕事は昼帰りが一番かもしれませんし、こんな時代だからこそ翻ってコロナ渦前の平和を感じたあの時代がとても懐かしくなります。田手原名にある小字地名ですので伊能大図や測量日記にはもちろん記載がありません。長崎名勝図絵には重篭に関する十郎原の記載はあるのでこのあたり一帯は十郎原と呼ばれていたことだけは想像がつきます。
昼帰の地名の由来について考えたいと思います。まず昼ですが時間的な昼と広(ひろ)の転訛の可能性がありそうです。特に十郎原と言われた地ですし、山地にしては広がりのある場所です。また帰ですがそのまま帰る意味と傾斜地の2つの意味が考えられます。
場所的には長崎市内から直線距離で5Kほどですが、ずっと険しい坂道が続きますし江戸時代は徒歩ですので朝から歩いてもこの十郎原までは昼にしか着かなかったような気がします。逆に言えば、(季節により多少違いますが)長崎へ帰る場合はこの辺り(十郎原)から遠い場所だと夜になり暗い道を歩くことになったことが考えられそうです。そのことから飯香の浦へ行く道の中間地点として昼帰の地名になった可能性がありそうです。
また地形的に茂木山の麓に広がる傾斜地と言って意味で昼帰になった可能性とこの2つの要素を鑑みて昼帰になった可能性がありそうです。昼帰なかなかいい地名です♪なんといっても春を感じさせる茂木山の風景が思い出されます。
今日は田手原名、昼帰のおはなしでした。
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