
写真は大浦海岸より見た、獅子喰(ししくらい)方面、位置的には稲佐山の南側稜線の東斜面にあたり、画像左側の中腹にある大きな建物(シンフォニー稲佐の森)の上側の稜線附近が獅子喰になります。現在の秋月町付近になります。
小字地名ですので伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも記載がない地名です。そもそも稲佐山の稜線なので普段人が生活する地域ではありません。さて獅子喰の地名の由来を考えたいと思います。獅子は鹿の場合もありますが恐らく猪で間違いないと思います。以前、稲佐山の中腹にあるふくの湯さんの食堂の外でうり坊を見て感動した経験があるので現在も稲佐山では猪が密やかに暮らしていることでしょう。喰(くらい)はまさに食べることですので、猪を食べる(た)処といった意味になります。
恐らく、当時は猪がそれだけ多く棲息し、この付近で食べたことが地名の由来になったのかもしれません。ちなみに阿波の国・徳島県には類似地名の宍喰(ししくい)がありますが、あちらは葦喰(あしくい)が由来のようで葦(イネ科の植物)を食べる人々が住んでいるところと言った意味のようで猪とは関係ないようです。
一応、稲佐山展望台から獅子喰方面には行き止まりの徒歩道が地形図に記載されているので当時から人が立ち入り猪を食した可能性は充分ありそうです。とはいえ、現地へおもむくほどの場所ではないようです(笑)
今日は稲佐山の稜線にある獅子喰のおはなしでした。
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