石原田(下長崎村高野平郷 石原田)今は無き玉帯川上にあった家並

何だかいつも気にな~~る、川の上に建つ不安定住宅が見れた電停のある地名のおはなしです。

083.jpg

写真は2021年春に撮影の正覚寺下(崇福寺)電停、玉帯(小島)川より右側が高野平郷石原田になります、川の左側は小島郷になります。最近観光客のために電停名も改名されましたがやっぱり年寄りには昔からの正覚寺下がしっくりきます♪

祖母が住んでいたことやお墓があったこともあり、小さい頃からこの周辺は慣れ親しんでいるのですが、最近とうとう玉帯川の上にはみ出して立っていた不安定に見える家並が消え、何か物足りない風景になったと感じています。

小さい頃から、「怖かね~」「大丈夫やろうか」「どがんなっとっとやろうか」「一回行ってみたかね」なんていつもここに来ると、家を見ては妄想していたものです。今ではすっきりしてしまい、路面電車はよく見えるようになりましたが長崎らしい風景だっただけに、やっぱり寂しいです。

083-2.jpg

ほぼ同じ場所から家があった頃の風景♪

083-3.jpg

反対側の正覚寺下電停より見た玉帯川と気になる家並、よく行く場所だっただけに写真はいっぱい撮ってます。

083-4.jpg

電停よりちょっと中に入った油屋町界隈(石原田)、ここにあった本屋で立ち読みしたり、花を買ってお墓に行ったりしてました。

083-5.jpg

こちらも同じく油屋町界隈、この細い路地が祖母宅への道であり、今でも好きな道です。私にとっても思い出深い界隈ですが意外と昔と変わらない風景が残っています。

さてここからは石原田の地名について考えたいと思います。高野平郷内の小字地名ですので伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵に記載はありません。石原ですが読んで字のごとく、昔は石ころの多い原っぱだったと考えられます。近くに玉帯川が流れているだけに石が多かったのかもしれません、その石原に近くの川から水を引いて水田にしたことが石原田の地名の由来と言えます。

ただ明治期の陸測図などを見ても水田マークがないので、地名の由来になった水田は明治初めか江戸時代には失われていたのかもしれません。寺院が多い地区ですが繁華街に近いだけに昔から市街化が早かったのかもしれません。

今日は高野平郷内になる石原田のおはなしでした。



この記事へのコメント