
写真下に写るのが又兵衛バス停、大村湾を見下ろす絶景の位置にバス停があります。天気が良ければ雲仙も見えます。実際写真にも遠くにうっすらと雲仙が写っています。また右端中央近くには塩垂島も見えます。地名の好きですし景色もいいので片手ぐらいはバスで行ったことがあります。

近年はバスの本数も減りましたがバス停は上り下りと両側にあります。こちらは小口港方面のバス停、次は終点です。

こちらは大江橋方面にバス停、バス停前にはご立派な又兵衛集会所があります。

大村湾をバックに長崎バス、内海を走っていたバスが転属で一時期、飯香の浦専用になるとは思っても見ませんでした。
さて又兵衛の地名の由来について考えたいと思います。位置的に尾戸半島の内陸側にある小字地名で伊能大図や測量日記、また大村郷村記にも記載がない地名です。又兵衛といえば、大阪の陣で散った元黒田藩士の後藤又兵衛を思い出しますが、人名に因んだ地名であることに間違いないでしょう。恐らくはこの地を開墾された人物と推定されますが、残念ながらそれ以上のことは分かりません。以前、琴海町に問い合わせたことがありましたがやはり分かりませんでした。それでも気になるいい地名であることには変わりません。

こちらは昭和21年発行の陸測図より尾戸半島小口周辺の地形図です。地形図の中ほど東側に又兵衛と塩垂島の記載があります。今日は尾戸半島にある気になる地名、又兵衛のおはなしでした。
この記事へのコメント