写真の川の流れ落ちる場所付近にくじら岩がありました。今は崩されて小さな何でもない岩になっています(涙)、いつも浦上川とまなびや橋を渡り西浦上小学校に通っておりましたが、その際に見守ってくれるかのような存在感のある岩がくじら岩で毎日くじら岩を見ながら校門に入ったものです。
写真はまなびや橋から見た学校と反対の長崎バイパス側、水害後しばらくはそのままでしたが、その後しばらくして河川改修でくじら岩は消えましたが、段差のある部分も以前はもうすこし高さがありましたが改修後に現在の低めなものに変わったと思います。
長崎大水害前まではお世辞にも綺麗な川ではなく、底が見えない汚い川だった小学校周辺の浦上川も水害後に一変しました。当初はどこからながれてきたか分からないような大量のゴミもあちらこちらに見受けられましたが、そのうちとても川が透き通ったうえに大量の魚が橋から見えるほどの川に生まれ変わりました。
もちろん、一方で友人が被災したり友人の親がお亡くなりになったりした悲しい事実もあります。小学校の校舎も2学期からは1階の床が綺麗に張り替えられ、トイレなどに入ると背丈以上ぐらいの濁流の後の線がくっきり残されており、確か最大深度の紙も貼られていたような記憶があります。当時は2学期が予定通り始まりがっかりしましたが、いろんな方のご努力のお陰があったものと今では感謝しています。
綺麗に生まれ変わった浦上川ですが、まなびや橋の下は一気に児童の遊び場に変化し、放課後は釣りを楽しみました。ブルーギルやハヤなどが良く釣れました。どこかわ流れた来たのか鯉や錦鯉もいました。くじら岩にのって釣りすることもありました。ちょうど深くなっていた場所ですので人気の場所でもありました。
しばらくは釣りをする児童で賑わったまなびや橋下の浦上川ですが、時期は覚えていませんがある時期から急に重機が入り河川改修が始まりました。まさか当時は神聖に感じていたくじら岩が壊されるなんて思ってもいなかったのですが、授業が終わり下校中になんと重機がくじら岩を壊している現場を見て呆然としました。。。
友人も私も、他の児童もみんな橋の上から「やめろ~」「なんばんすっとや~」などこれ以上書けないほど罵声を浴びせたのですが、結局くじら岩は崩されてしまいました。(大涙)ちょうど段差から浦上川が流れおちる場所にあったのが仇になったのかもしれません。いまでもしっかり記憶に残るくじら岩、形はくじらを横にしたような感じで目の部分にもちょうどくぼみがあった岩でした。
今更ですが、くじら岩の地名について考えたいと思います。残念ながらといいますか、伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも大村郷村記にも記載はありません(涙)、くじら岩の名称ですが現在地に西浦上小学校ができたのは戦後の間もない昭和23年でそれまでは現在の付属付近にあったことを考えると、くじら岩の名称は、小学校の移転した時期または、まなびや橋ができた昭和30年以降に児童が自然に呼ぶようになった可能性が高いかもしれません。由来はまさにくじらそっくりの岩があったからです。
残念ながら私のアルバムには写ってませんが歴代のアルバムには、くじら岩が写っているアルバムがあるかもしれません。それほど小学校の象徴のような岩でもあっただけに、今更ながら水害さえなければ。。。。校舎が無くなってもくじら岩さへ残ってくれていれば。。なんて無意味なことを考えてしまいます。
今日は私にとっても思い出深いくじら岩のおはなしでした。
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