納豆坂(浦上淵村飽ノ浦郷 納豆坂)福田越えの峠道にあった坂

長崎と言えば坂の街、雑誌の特集や本にもなっていますが、市内飽の浦の小字地名にあったのが納豆坂、字面を見ただけで思わず笑みがこぼれる坂に思えます。

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かっての納豆坂付近を走る長崎バス、場所はかっての飽の浦3丁目、現在の入船町に該当する場所にあった坂です。なんでこんな強烈な名前の坂が無名なのか気になります。(多少は知っておられる方もいると思いますが)

それにしても峠を登って茶屋で力餅は食べたいですが納豆は食べたくありませんし、納豆みたいにネトネトした坂など登りたくありません(笑)思わずそんなことを思い起こさせるような坂名ですが、場所的には飽の浦から福田へゆく峠道付近にあった小字地名です。明治の陸測図を見るとこの小字地名の納豆坂付近には福田・大浦へ行く道の他に福田・釜方面(廃道)へ行く道があったようですので残念ですが現在のところ、どちらの坂に名付けられたのかまでは特定できていません。

小字地名で納豆坂を見たときは強烈なインパクトでしたが「長崎県の小字地名総覧」のルビを見て驚きました。思わずがっかりというか「なしつうざか」になっています。この本、名著ですが稀に誤記載(多いので仕方ないと思います)も見られるので絶対ではありませんが少なくとも「なっとう」でないことは間違いないようです。

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小字地名の納豆坂最寄りは長崎バスの福田線の途中にある入船が丘付近になります。バス停からは長崎港を見下ろせます。

さて小字地名の納豆坂(なしつうざか)について考えたいと思います。小字地名ですので伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも記載がない地名です。大村郷村記の福田村には現在の福田道(飽の浦~大浜)には手首峠、御料地(幕府領)淵村側からは飽ノ浦越峠と呼ばれていたことが分かります。坂の由来になった「なしつう」ですが恐らくは、道をならして通じるようにした坂なので「なしつう」となった可能性が高いように思えます。峠道ですので山を切り開いて(ならして)通す(つうずる)この解釈がやはり一番近いのではないでしょうか。

残念ながら今は知名度も殆どない坂と思われますが、もし、地名として現在も納豆坂が残っていれば、読みも「なしつう」から「なっとう」になっていた可能性も充分ありそうです。地名も間違った呼び方が定着するといつのまにか間違った方の読みの地名が正式な地名になる場合もあります。

それにして「なしつう」に納豆の当て字とは、ちょっと盛り過ぎではと思う今日この頃です。最も当て字に均通、無通、梨通、成通坂であったなら私の目に留まらず紹介しなかった可能性も高いと思いますが(笑)

今日は当て字が気になる納豆坂のおはなしでした。

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