写真は2009年次の新店街、正月近くでしたので開いている店はありませんでした。あれから10年以上が経ち、人口もほぼ100人ほどですので少なくとも常時開いている店はないでしょう。
ほぼ同じ場所で撮った2003年次の新店街、現在もコミュニティバスが走り「新店街通り」バス停があります。この時期は閉山式の翌年ということもあり、まだ人口も600人ほどで長崎バスも大型のバスが走っていました。店も写真の奥の方の車がいる附近の数店舗が開いており、昼ご飯をこの店さきのベンチで食べた記憶があります。
ちょうど東南アジアから来た実習生の受け入れが始まったのか、二坑方面へ向かう白Tシャツのスクーターに乗ったベトナムかインドネシアの方が時々通っていたのが印象的でした。
2003年次の新店街にある大島テレビ池島店、この時は週に数回店を開けていたようです。この新店街、炭鉱時代は散髪屋や駄菓子屋、雑貨屋、本屋、電器屋、食堂にレンタルビデオ店などがあり近くに鉱員住宅街もあるので相当賑わってたいようです。実は炭鉱の稼働している時代にも1度行ったことがあるのですが、カメラを持って行かなかったことを今でも凄く後悔しています。
さて新店街のあった小字地名の川頭の地名のついて考えたいと思います。小字地名の多い神浦の地名ですので伊能大図や測量日記、大村郷村記にも記載がない地名です。地名の由来ですがこの新店街の北側の谷から郷方面に地形図を見れば確認できますが小河川(溝程度)が存在しています。その小河川の源流(川頭)にあたることが地名の由来になったと考えられます。
こちらは1975年、昭和50年代初頭に撮影された神浦村池島郷 アボ(長崎市池島町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。画像①は池島小中学校、⓶は四方岳、③は新店街付近になります。③の右側から郷方面に流れる小河川が川頭の
地名の由来になったと考えられます。
今日は池島の川頭のおはなしでした。
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