写真の橋の向こうに見える左側の緑が千崎になります。現在は埋立てが進み岬の形状は残念ながら失われ面影だけを残しています。橋の下は川ではなく、伊王島(奥)と沖之島(手前)を結ぶ小中瀬戸になります。昔は唐船もここを通っていたようです。
写真はほぼ同じ場所で長崎バスの止まっている場所が伊王島ターミナルになります。伊王島大橋が完成した時、恐らく1時間に1本ぐらいは走ると期待していましたが以外にも片手で足りる程度の本数、もしかしたら高島航路維持のため大人の住み分けの結果かもしれません。ターミナルの先は大きなホテルなどがあります。
さて千崎の地名について考えたいと思います。伊能大図や測量日記には記載がない地名ですが江戸期、佐賀藩深堀領でしたので佐賀藩の伊王島絵図の中には千崎の記載がある絵図もあります。仙崎の由来ですが崎はもちろん岬を意味します、問題の千ですが、山の(せん)では地形的に違いますので恐らくは小中瀬戸が目の前にありますので狭い、又は瀬戸のある岬として「せざき」と呼ばれたものが時代とともに転訛して現在の「せんざき」となったように推定されます。
ちなみに同じ読みの「せんざき」といえば、長門の国にある山陰本線支線がある仙崎を思い出しますが、伊王島にも千崎に隣接する小字地名に仙崎があり現在も地形図には載っています。
上記写真は2010年に撮影された伊王島村 千崎(現:長崎市伊王島町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。千崎文字左がかって岬だった千崎、現在周辺の海岸部は恐らく伊王島炭鉱のボタを利用した埋立地です。
今日は伊王島の玄関口にあった岬のおはなしでした。
この記事へのコメント