姥瀬(伊王島村 姥瀬)埋立で消えた岩礁

伊王島小中学校付近は昭和の時代に伊王島炭鉱のボタで埋立てられた場所です。以前は海だったことが小字地名をから見える姥瀬についてのおはなしです。

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写真は伊王島小中学校の小学校校舎、今も小中学校で20人台の児童生徒が通っている現役の島の学校です。ちなみに伊王島へは市内から長崎バスもありますが大波止からの高島航路のほうが便利です。またリゾート利用の場合は駅から予約制の無料バスが出ています。

この小学校付近の埋立ですが過去の地形図や空中写真を見るとこの地域は1960年代初頭には埋立てられており、1954年の地形図では岬のある千崎地区だけ埋立ですので、姥瀬付近の埋立は恐らく1950年代後半に埋立てられたことがことが推察できます。ちなみに現在の伊王島小中学校ですが台風被害なので徐々に移転しながら昭和37年にこの地に移転完了のようです。

埋立前は海岸線だった姥瀬の地名について考えたいと思います。小字地名ですので伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも記載がない地名です。地名の由来ですが埋立前の地形を見ても入江でもなく普通の海岸線に過ぎませんので恐らく姥瀬という名の岩礁があったことが由来と思われます。もしかしたら岩礁の形が今は残っておらず手がかりがないので分かりませんが乳母や馬などに似ていたことから近くを通る漁民に「うばせ」と呼ばれていたことが小字地名の由来になった可能性が高いかもしれません。

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上記写真は2010年に撮影された伊王島村 姥瀬(現:長崎市伊王島町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。伊王島港のある千崎より北側の埋立地が姥瀬付近になります。伊王島小中学校のあるエリアです。空中写真で見ると埋立地であることが明らかです。

今日は伊王島にある姥瀬のおはなしでした。

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