写真は、浄心鼻と近くを走るさいかい交通の路線バス、中央の海に面した小山の先端が浄心鼻になります。小字地名の浄心は蛎浦島内ですが崎戸島近くは蠣浦郷ではなく崎戸本郷になります。
写真は炭住街のあった浄心地区にあるさいかい交通のバス停、思わずのんびり休みたくなる浄心バス停でした、崎戸二坑も随分以前に閉山し炭住街の雰囲気はありませんが今でも島らしい小さな集落があります。
浄心鼻の地名について考えたいと思います。小さな小岬ですので地形図にも記載がない岬です。もちろん鼻は岬を意味しています。小字地名でもある浄心についていえば、はじめてこの地名を知った時は、炭鉱の近くでもあり、夕張の社光みたいな地名か、仏教に因んだ地名かと勝手に想像しながらも気になる地名でありました。
小字地名もあり、伊能大図や測量日記にも記載がない地名ですが大村郷村記には嘉喜浦村の項目に「じよふしん鼻」との記載があります。恐らくこの岬名が由来になって現在の浄心の当て字になったことが分かります。さて浄心自体の由来ですが、「しょうじ」「しょうず」(清水や湧き水などの意味)などが訛って浄心になった可能性もありそうですが、郷村記から見れば、城普請が「じよふしん」になった可能性が高いように思えます。
戦国期にはこの地付近で大村藩側の小佐々氏と平戸の松浦氏が合戦を行ったことが知られています。場所的にも松浦氏が来る方向の入口でもあり、城ほどではなくとも砦程度を築くには位置的にも戦略的にも充分あり得ることに思えます。したがって浄心鼻は個人的には城普請の岬が由来になった可能性が高いように思えます。
上記写真は1975年に撮影された崎戸村本郷 浄心鼻(西海市崎戸町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。蛎浦島の先端付近になる浄心鼻、対岸には崎戸島が目の前です。廃坑になった崎戸二坑近くには炭住街跡の浄心が見られます。
今日は崎戸の浄心鼻のおはなしでした。
この記事へのコメント