写真は家野町(城ノ越)周辺の遠望写真です。稲佐山の左下にある高台にあるマンション周辺が城ノ越辺りになります。周辺もマンションやビルが多くなり台地らしい写真が撮りずらい場所になっています。
以前紹介した阿蘇より長崎駅方向の小字地名になります。
路面電車より後ろ側の、国道より右側が城ノ越になります。電車通りもしっかり高い建物ばかりです。
さて城ノ越の地名について考えたいと思います。伊能大図には記載がありませんが、伊能忠敬の測量日記や長崎名勝図絵、明治の陸測図にも記載がある地名ですので当時は家野郷を代表するような大きい地域を表す地名だったようです。
地名の由来ですが城ノ越と言えば、同じ音で夫婦川郷にある城ノ古址を思い出します。あそこは長崎氏の城跡です。当て字こそ違いますが城の跡の可能性が高いと考えられます。この地域には当時、浦上氏や家野氏という豪族がいたことが大村郷村記に記されています。現在も家野町があり、家野郷であったことを考えると家野氏の城(館や砦程度)があった可能性が高いのではないでしょうか。
残念ながら城に関する記述はありませんし、しっかり開発された地域ですので遺構など今後も出ることはないでしょうが地名がその痕跡を残してくれていた可能性が高いと思えます。したがって城はやはり家野氏または浦上氏の城(館、砦)、越は古址、または道の越す場所や山腹の意味合いで使わた可能性もあるかもしれません。
ちなみに江戸期は天領のため浦上山里村の家野郷になり大村藩領の浦上北村家野郷とはお隣ですが城ノ越は大村藩領ではないため郷村記に記述は当然ありません。
こちらは明治34年陸測図「長崎」(今昔マップ on the webより)より城ノ越周辺の地形図です、家野の左側に城ノ越の記述があります。
上記写真は1975年に撮影された浦上山里村家野郷 城ノ越(長崎市家野町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
今日は長崎大学近くの家野町にある城ノ越のおはなしでした。
この記事へのコメント
うなぎの会
長崎の山城を探索しながら歴史を楽しむサークル「うなぎの会」と申します。自分も西浦上近辺に住んでいるので数々の地名に関するお話とても楽しく読ませて頂いております^_^
家野氏や浦上氏にとても興味がありますので、今回の城の越のお話とても面白く読ませて頂きました。今は家野町公園があったりビルが建っていたりといった感じですが、1975年の写真ではなにやら森?のようなものがみえますね。今でもその城の越にあたる場所は微高地になっているので何かしらあったのかもと気になっています^_^
サルル
はじめまして、コメントいただきありがとうございます。
西浦上で生まれ育ったこともありやはり近辺の地名は気になります。
城ノ越についても地名から類推すれば地形的に見ても何かあってもおかしくないとは思いますが文献にはないだけに確証がないですが、想像するだけでも楽しい地名とも思います。