写真左下にあるのが「どんく島」で白いマリア像も小さく写っています。対岸の手前は蔭ノ尾島で奥が野母半島になります。
どんく島と長崎バス、長崎バスですと市内から神の島教会行きで下車すれば徒歩ですぐの場所に「どんく島」があります。以前よりここは本数が増えたので1時間に3本以上は走り便利です。
「どんく島」より見た女神大橋方向、長崎駅から長崎バスで30分弱ほどで着きますが周辺の海はとても綺麗です。
写真は海上より見た「どんく島」、ちょうど見えずらいですが神の島教会の真下に「どんく島」があります。
「どんく島」ですが巨大なマリア像の存在ばかりが目立ちますが、実は小さな島ですがこんな鳥居や祠もあり、まさに神の島といった様相になっています。多様性を認めるよき島です。
さて「どんく島」の地名について考えたいと思います。現在は神の島とつながっていますが戦後まではしばらく島でした。「どんく島」ですが伊能大図ではは獨空島、測量日記では「沖のドックウ島」と記載され、1802年の肥前長崎図では「トンカウ島」といった記載が見られます。
付記、江戸時代の佐賀藩「四郎島台場図」を見ると「沖兜」と記されており、沖側にある兜島と認識された時代もあったようです。
また長崎名勝図絵では「どんく島」神の島の傍らにあり島の形がどんく(長崎の方言で蛙)に似ている、又慶長14年の黒船焼討事件の時、敵の弾丸がこの島に当たり形が半分崩れたといった記載が見られます。
「どんく島」の由来ですがこの長崎名勝図絵の記載にあるように長崎の方言である蛙を意味するドンクに似ていたことから「どんく島」と呼ばれていたことが由来になったと考えられます。
ちなみに黒船焼討ですがキリシタン大名の有馬晴信がマカオで朱印船が襲われた仇討に長崎港内でポルトガル船と戦闘後に炎上し司令官の命令で火薬庫に火をつけ自沈したらしいです、その後あの岡本大八事件に繋がり有馬晴信が死罪になります。どんく島とこの焼討事件が関係あるか真偽は不明ですが興味深い話ではあります。
付記、長崎古今集覧でもドンクウ島として神ノ島ニツヅキテ岩ノ瀬アリ其形カイルニ似タリといったことが記されています。
上記写真は1975年に撮影された神ノ島村 どんく島(長崎市神の島町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。高鉾島と神の島の間にある「どんく島」です。〇は伊能忠敬測量日記では陸のドックウ島と記された兜島になります。
今日は神の島にある「どんく島」のおはなしでした。
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