女神崎(戸町村下郷 女神崎)女神在来台場

女神大橋や最近ではモアイ様まで登場した女神ですが、昔は岬に女神在来台場が築かれています。今日は女神崎のおはなしです。

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女神付近は以前より多くの写真を撮っているのでどの写真をトップに使うべきか迷いました。こちらは女神大橋より見た現在の女神崎、橋のお陰でこんな高所からの写真が撮れるようになりました。小さく戸町経由の長崎バスも写っています。ここが女神崎のあった場所でバス停下には岬の片鱗である岩礁が残っています。

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こちらは地上より見た女神崎にある長崎バス女神バス停(駅方向)より見た戸町方面、市内から近くにもありこの辺までは結構バス(戸町経由)も運行されています。このバス停付近に女神崎があり1654年より築造され1655年に完成の女神在来台場が岬周辺の海岸線に築かれたことが江戸期の長崎大絵図や黒田藩の長崎港警備絵図などで確認できます。

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女神大橋をバックに長崎バス

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長崎バス女神バス停、ちょうど長崎港の入口にある女神、対岸の男神(神崎)とともに要所のため幕府より台場が早くから築造されましたが女神台場は1808年のフェートン号事件後に更に新台場も築かれました。ちなみにこの新台場は遺構が残っているようです。

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写真は女神付近を走行する長崎バス、この周辺に1655年築造の女神在来台場があった付近ですが道路などのために残念ながら遺構は残っていません。

女神崎の地名について考えたいと思います。女神崎ですが伊能大図に記載はありませんが測量日記には女神崎、女神御台場の記載があります。ちなみに女神に台場が築かれた時代の戸町は大村藩領でしたが幕末期に天領に変わっています。また長崎名勝図絵にも女神崎自体の記載はありません。尚、女神(島)自体については改めて紹介する予定です。

女神崎の由来ですが近くには女神の由来になった島があり、この近くにある岬であることから女神崎と呼ばれていたと考えられます。

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上記写真は1975年に撮影された戸町村下郷 女神崎(長崎市戸町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。この昭和50年代には女神島や女神崎もある程度残っていたことが分かります。

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上記写真は2010年に撮影された戸町村下郷 女神崎(長崎市戸町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。女神大橋ができ周辺が変わった女神地区ですが女神崎自体は一応片鱗が残っていることが分かります。残念ながら女神(島)は消失しています。

今日は女神在来台場のあった女神崎のおはなしでした。



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