峯(浦上山里村家野郷 峯)峯山神社ゆかりの地

江戸期には長崎名勝図絵で阿蘇大明神があったとされる浦上山里村家野郷すが、神社が現在も残る小字地名の峯についてのおはなしです。

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峯地区より見た岩屋山、長崎らしい坂のある地域です。この中央にある緑地は戦前の高圧線があった場所をうまく再利用しているようです。ちなみに現在は千歳町と家野町に分割されています。

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峯地区にある地獄坂、近くの西浦上中学校の部活動での練習で活用されることが由来のようです。実際登るとやはり急で息が切れます。この坂の途中附近に峯山神社があったようですが当時は見つけられませんでした。

さて小字地名の峯について考えたいと思います。小字地名ですので伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも記載がない地名です。またちょうど大村藩領との境の場所ですが当時峯地区は天領だったため残念ながら大村郷村記にも当然記載はありません。もし大村藩領だったら恐らく峯山神社や阿蘇大明神にも記載されていた可能性が高いですので同じ家野郷ながら浦上家野村に属さなかったのは歴史を知る上では残念なことです。

ちなみに峯地区には峯山神社の他にも峯山公園と小字地名を彷彿させるものが残されています。地名の由来ですが「峯」本来は山頂や峠、尾根筋などの地形を意味します。この峯地区も小さな丘などがあり近くには城ノ越という城を連想させる地名もありました。家野氏という地方豪族が存在していることも大村郷村記から知ることができます。

それらを考えると城ノ越へ向かう際の峯(尾根)といった意味から峯となった可能性があるかもしれませんし、峯山神社があるのでそこから峯となった可能性も充分ありそうです。どちらも可能性だけで残念ながらはっきりした由来は分かりません。

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上記写真は2010年に撮影された浦上山里村家野郷 峯(長崎市家野町)附近の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。西浦上中学校横(左側)に峯地区があります。

今日は天領の浦上山里村家野郷の峯についてのおはなしでした。

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