
写真は日見峠、今も峠越えはきついですが当時の雰囲気を感じさせます。ちなみに峠の地名ですが日見側の他に長崎側にも本河内郷に小字地名の峠が存在します。

峠を見守る馬頭観音
さて小字地名の峠について考えたいと思います。伊能大図や測量日記にも流石に長崎街道の峠だけに日見峠の記載があります。また長崎名勝図絵には天正の初めに深堀氏が長崎氏を攻めた際に火を焚き示威したものの長崎氏に察知され失敗したのに因み火見峠を呼ばれるようになったことや、長崎の町より日の出が早く拝めることになったことから日見峠になってことや峠に茶屋が四軒あることなどが記されています。
小字地名「峠」の由来ですがまさに字が示す如く日見峠にあるのが由来です。日見自体の由来も上の長崎名勝図絵の2つの説がやはり有力でこのどちらか、又は両方を合わせ日見となった可能性が高いと考えられます。ただ天正の話は創作の可能性もあるような気もします。2の説は標高も高く日の出側なのでこちらの方が実態にあっているように個人的には思えます。
今日は日見側の峠のおはなしでした。
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