中ノ間(浦上山里村里郷 中ノ間)浦上駅は旧長崎駅

今日は現在浦上駅のある場所にあった小字地名についてのおはなしです。

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小字地名の中ノ間のあった浦上駅、現在は高架化されこの周辺も随分雰囲気が変わりました。ちなみに鉄道が長崎へ来た当初の明治30年はこちらが終着駅で長崎駅を名乗っていました。現在の長崎駅まで延長されたのはその8年後の明治38年になります。

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浦上駅が高架化されたので浦上駅周辺でこんな列車が行き交う風景も過去のものとなりました。キハ66もすでに引退済み

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浦上駅前の国道側も最近大きな火事があったので残念ながら雰囲気が変わりました。黒の建物や「まるみつ」さんや「ひぐち」さんなど見慣れた光景が無くなるのは寂しいものです。

さて小字地名の中ノ間について考えたいと思います。伊能大図や測量日記に記載のない地名です。ただ測量日記ではこの周辺の地名として新土井の記載が見られます。長崎名勝図絵には記載がない地名です。江戸期は浦上新田が1730年代に完成する前までは長崎港の奥部だった地域です。

中ノ間の由来ですが、浦上新田にある中ノ間の前後の小字地名を見ると内開、外開になっています。浦上新田を大きく3つに分けたとき、まず最初に干拓された(開かれた)場所が内開、その中間を中ノ間として、その外側に後になった干拓された場所を外開にしたことが分かります。中ノ間は浦上新田の位置的なものが地名の由来になったと考えられます。

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こちらは明治34年陸測図「長崎」(今昔マップ on the webより)貴重な明治期の浦上駅周辺、地形図から見るとまだ周辺は一部を除き江戸時代を彷彿させる稲作地帯だったことが分かります。また伊能忠敬の測量日記に見られる新土井に似た土井の地名が記されています。

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上記写真は2010年に撮影された浦上山里村里郷 中ノ間(長崎市川口町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。最近高架化されたので多少雰囲気は変わったと思われます。〇の地点は戦前まで路面電車はこの附近から現在と違って大学病院側に近いルートを通っていました。

今日は旧長崎駅のあった中ノ間のおはなしでした。

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