
日見峠の一番頂上付近?正式な場所は分かりませんが途中道なき道を登り、稲佐山の見えるこの場所へ到達できたのでほっとするとともに到達間を味わえました。
小字地名の峠について考えたいと思います。伊能大図には(彼杵群、高来郡日見峠の記載があり、測量日記にも高来郡日見村の日見峠とともに彼杵群長崎村枝本河内郷字日見峠の記述が見られます。また日見村の峠で紹介しましたが長崎名勝図絵でも紹介されています。峠に茶店が4軒あったようです。(そのうちの一軒は日見峠の頂上付近にあったようです。)
小字地名「峠」の由来ですが当然日見峠に由来します。
今日は長崎側の日見峠のおはなしでした。
この記事へのコメント
ちび太郎
毎度、興味深く拝見させていただいてます。
生活歴のある日見や中川周辺の記事を読みながら、当時を懐かしく思い出しています。
地名と言えば、日見地区の自治会名称に網場の山側は「岡下」、「岡上」、海側は「浦」、「中」、「崎」、「藤ケ峰」など、昔の組時代の名称が残っています。
子供の頃はさほど気にもしませんでしたが、組(自治会)が重要な役割を担っていたんでしょうね。
サルル
こんにちは、自治会も地名を守ってくれる意味では大事ですね。
長崎市内は郊外になると小字地名の位置が分からない場所も多く、昔の文献や地図などで分かることもあります。
意外と公民館や公園名で残っているケースもあります。
そうやって探す作業も楽しんでおります。