
かっての無氏浜付近を航行する五島航路のジェットフォイル、ちなみに江戸期は例えば香焼が焼香と記されていたように漢語のレ点が入るので氏無も無氏浜の標記になります。

場所は長崎バスで市内から20分ほど魚見山バス停が最寄りとなります。ちなみに現在はモアイ像が近くにあるそうです。今風に言えばモアイ浜とか母愛浜、萌逢浜、萌愛浜とかの感覚になるのかもしれません。

写真は女神大橋から見た無氏浜付近を走る長崎バス、現在は見ての通り残念ながら埋立られ浜は残っていません。

男神方面より見た無氏浜、浜の上には魚見岳台場があった場所になります。長崎港口にあたり船の往来も多く見られます。
無氏浜の地名について考えたいと思います。伊能大図や測量日記には記載がない地名ですが以外にも長崎名勝図絵には無氏浜の地名が地名だけですが紹介されてています。小字地名で氏無があることは知っていましたが長崎名勝図絵に記載があるのは本当に意外でしたがお陰で興味が持てました。江戸期も幕末を除けば大村藩領でしたが郷村記が書かれた頃は天領になった時代で記載がなく残念なところです。
当時の埋立前は小さいながらも浜があったことが分かります。もしかしたら魚見岳台場への弾薬などの輸送等はこの氏無浜を使っていたのかもしれません。無氏(氏無)ですが字づらから考えれば文字通り名無しと言った意味合いになります。例えば氏だけ分割して考えれば牛や内、蛆などの転訛もあり得ますが続く文字に無がある以上やはり名無し浜といった意味合いで使われた可能性が高いと考えられます。
なぜ無氏(氏無)になったのか気になりますが残念ながら分かりません。魚見岳台場の下ですから魚見浜でも良かったと思いますが、もしかしたら台場へ輸送の重要な浜でもあり、幕府としては夷狄に重要性を隠すため敢えて無氏とした可能性はあるかもしれません。もしそうであればですがある意味その程度の発想を行うような鎖国状態を表した地名と言えるかもしれません。

上記写真は2010年に撮影された戸町村下郷 無氏浜(長崎市戸町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。現在浜は埋立られ原型はなく、空中写真の時代にはなかったモアイ像が設置されています。
今日は変わった名の無氏浜のおはなしでした。
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