田中(下長崎村高野平郷 田中)辨慶石大明神

今日は市内の高野平郷(高平町)の江戸期にあった地名のおはなしです。

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写真は辨慶石大明神のある田中付近の写真です。実はこの地名、長崎県の小字地名総覧に記載がなく恐らく明治以降に失われた地名と推定されます。明治以降も詳細は分かりませんが多くの地名が生まれる一方で失われた地名もあったようです。

早速ですが田中の地名について考えたいと思います。伊能大図や測量日記にも記載がない地名です。ただ長崎名勝図絵や長崎古今集覧には辨慶石について記載があり茶臼山から投げた力自慢の石がここに落ちた内容の記載が見られます。恐らくはすぐ隣に小島川(玉帯川)が流れているので洪水の際に上げられたものと思います。

高野平郷の地名と同じく全国にある弘法大師や弁慶、義経に因んだ伝承や地名と同じくここも弁慶自身とは全く関係ありません。

さて田中の地名は長崎古今集覧だけこの辨慶石が田中に在りと記され、この附近が田中と呼ばれる時代あったことを示す唯一の証になっています。由来は恐らく字が示す通り周辺が田んぼの中に囲まれたような場所だったことが考えられます。ちなみに近くには小字地名の石原田があり、やはり小島川流域に昔はたんぼが広がっていたことを想像できる小字地名になっています。

今日は辨慶石付近にあった地名のおはなしでした。

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