形上湾の奥部にあった火引ノ浦、現在は昭和40年代の埋立で浦自体はほぼ喪失しています。長崎バスで市内から70分ほど、亀浦行きや小口港行きのバスが走ります。ちなみ写真は火引ノ浦の入口に当たる場所付近になります。
長崎バス火引ノ浦バス停、残念ながら埋立られてますので海のない平地になった場所にバス停があります。埋立前はこの周辺も海だったことでしょう。
地名を知ったのは長崎バス大江橋行きが火引ノ浦まで延長運転されるようになったことがきっかけでした。1日2本ありましたが現在は分かりません。
火引ノ浦の地名について考えたいと思います。伊能大図に記載はありませんが、測量日記には字ヒヒノ浦の記載があります。また大村郷村記の形上村にはヒビノ川尻の地名が記載されています。
当初、字ずらの火引を見て火を引く漁を行っていた可能性や、私がこの附近を歩いた時、音が響き渡るような場所でしたのでこのどちらかが由来ではなどと考えておりましたが、古文献から考えればヒビノ川、もしくはヒビノ浦の読みが正しく、火引は恐らくヒビの当て字に過ぎないことが推察されます。
火引ノ浦の由来ですがヒビ(ヒヒ)から考えれば、篊という漁法があり、浅海で柴や竹簀などを立て並べ、一方に口をあけ、満潮時にはいった魚を干潮時に捕えることを指すようですのでこの漁がよく行われる浦だったことが由来になったと考えられます。またイヌガヤ科の植物にヒビがありますのでヒビ川や浦にこのヒビ(植物)が繁茂していたことからヒビノ浦となった可能性も充分ありそうです。
この2説のどちらかが火引ノ浦の由来になったと考えられます。
上記写真は1969年に撮影された長浦村大平郷 火引ノ浦(長崎市琴海大平町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。まだ埋立前の火引ノ浦が残っていた時代の貴重な画像です。
上記写真は1975年に撮影された長浦村大平郷 火引ノ浦(長崎市琴海大平町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。わずか5年ほど後ですが火引ノ浦は埋立られすっかり浦としての景観が喪失しています。
今日は内海にある火引ノ浦のおはなしでした。
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