
写真は太田尾と古賀浦(潮見町)の境界付近海岸より見た鼻操崎、右側の奥に見える岬です。昔の大石迫、現在の春日町付近にある岬です。

こちらは太田尾付近から見る長崎バスと鼻操崎、以前はこの景色のいい区間をバスが数本走っていましたが今はとても利用できる状態ではなくなりました。

こちらは太田尾の集落を走る長崎バスと鼻操崎、太田尾までは市内から飯香の浦行きが運行されています。こちらからは遠めになりますが鼻操崎を見ることができます。

こちらは大石迫(春日町)より見た鼻操崎、いちばん岬らしい姿を見ることができます。長崎バスで本数は非常に少ないですが春日大石より10分ほど降りた海岸線から見ることができます。
鼻操崎(はなぐり)の地名について考えたいと思います。伊能大図には記載がありませんが測量日記には地名の記載があります。長崎名勝図絵や長崎古今集覧、地形図等にも記載はなく、今のところ伊能忠敬の測量日記以外に記載が見られない地名です。地名の由来ですが鼻は人の鼻、操は(~ような)と言った意味で使われています。要するに鼻のような形に見える岬といったことから鼻操崎となったと考えられます。
実際、一番近く見える大石迫(春日町)付近から見る岬は鼻のような形に見えます。

上記写真は2010年に撮影された日見村小崎名 鼻操崎(長崎市春日町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
今日は江戸期に見られた小崎名にある岬のおはなしでした。
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