近くに外語大があるので利用客が多い長崎バス打坂バス停、バスも10分に1本は運行され便利な区域です。ちなみに浦上街道は西坂より浦上を通り、最大の難所だった打坂峠を通り、時津より船で大村湾を渡り彼杵宿まで行くルートでした。日見峠よりこちらのほうが楽な気がしますがなぜ矢上経由になったのか気になるところでもあります。
26聖人などはもちろんこの浦上街道を通っています。今では何でもない坂(打坂峠)に過ぎませんが江戸期はかなりルート的にもくねくね曲がった峠道だったようです。
打坂の地名について考えたいと思います。伊能大図に記載はありませんが測量日記には字内坂の記載があります。長崎名勝図絵や長崎古今集覧には記載のない地名です。旧滑石村と幸田村(現長与)、時津村の境付近にあった峠で(大村)郷村記では打坂、打坂上の地名が記載されています。
打坂の由来ですが坂はもちろんこの打坂峠にある坂が由来です。打(内)ですが、駄馬を通すのに難渋する峠で鞭を打ったことからと言った伝承もありその可能性も充分ありそうです。また本来は内の意味で内陸側に入り組んだ坂から打坂となった可能性も地形的に充分ありそうです。この2説が有力と思われます。鞭を使用した打ち説は当て字からそのような伝承になることも考えられるのでやはり、どちらも有力であり一つに絞ることは非常に難しい地名です。
今日は滑石にある打坂のおはなしでした。
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