写真は八丁車のあった小島(玉帯)川沿い、何となくですが水車があってもおかしく無いような地形です。ここを歩こうと思ったのは父が去年急に他界する1月前ほどに電話で上小島に住んでいて小島小学校に通ったことを聞いたことがきっかけでした。葬式後にですが何となく父が生まれ育った場所を見たくなり歩きましたが、想像以上に小島川が綺麗で驚きました。街中ですが魚も多数泳ぐ素敵な川でした。
写真は小島川沿いにある八丁車(稲佐山方向)、水車があったことを想像するだけで素敵な風景が思い浮かびます。
八丁車の地名について考えたいと思います。そもそも地域住民の間では知られていた地名と推定されますが小字地名でもない地名ですので伊能大図や測量日記に記載はありません、また水車は江戸期からあったようですので載っていてもおかしくないと思いますが残念ながら長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名です。
江戸期は他の河川を含め、現在と違い水車を使うことは普通でしたのであまり注目されのかったのもかしれません。ちなみに八丁車は越中先生のお話や広助さんの著作で紹介されている地名です。
由来ですが小島(玉帯)川沿いの高平橋から千畳橋の間に八つの水車があったことに由来します。水車で米などを脱穀していたようです。
今復元しても素敵な名所になりそうな雰囲気を持っています。
今日は小島郷にあった八丁車のおはなしでした。
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