長崎市内からだとバスでは乗り換えや本数を考えると本当に遠くなった面高、大瀬戸板の浦で乗り換えて、3時間ぐらいかかりそうです。佐世保から大島行き航路にはこの面高港へ立ち寄る航路もあるのでこちらの方が便がいいかもしれません。
昔に比べ、面高に入るバスも随分減りました。利用者の減少や道幅が狭いので敬遠されているのかもしれません。ちなみに長崎バスが2番目に免許を取った路線が大波止から石田経由で面高までといったことからも面高が殷賑を極めていたいことを伺わせます。
歴史ある町を感じさせる長崎バス(現在はさいかい交通)面高バス停前の民家、江戸期は大村藩領で遠見番所や台場が築かれた他に、松山崎と曲り鼻に囲まれた天然の良港は藩の避難港としての役割を果たしていたようです。また朝鮮戦争の際には佐世保港の副港としての役割も果たした歴史ある港です。
面高の地名について考えたいと思います。昭和30年までは単独の村でしたので伊能大図や測量日記、大村郷村記にも面高村に関してはしっかり記載されています。由来ですが大村藩領になる以前に土豪の面高氏がいたことが古文献から明らかになっています。面高氏がいたので地名が面高になった可能性も多少はあるかもしれませんが、その土地を治めるようになってその地を氏に使用する場合が多いのも確かです。深堀氏のように由来がはっきしりた家ですと分かり安いのですが面高氏については詳しく分からないのが現状です。
個人的には面高の場合は元々、その土地が面高と呼ばれその後、この地を支配した豪族が面高の姓を名乗った気がします。それでは面高の由来は他に何かといえば、オモダカ(面高)という水生植物があり水田や湿地に自生しています。恐らくこの植物が面高にも自生していたことが由来で面高になったと考えられます。
上記写真は1975年に撮影された面高村 本郷(西海市西海町面高郷)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。曲り鼻や松山崎(こちらには写ってません)に囲まれた天然の良港であることが分かる面高です。
また面高にゆっくり行きたいです。
今日は西海にある面高のおはなしでした。
この記事へのコメント