
写真は長崎バスの終点樫山バス停より見た赤岳、市内からバスで1時間ほどかかります。この場所から見てもただの普通のなだらかな山にしか見えません。

こちらは三重港よりみた赤岳(凹っと突き出た山)標高自体は118メートルしかなく山好きの方にはとても山とは呼んでくれないほどの高さしかありませんが、三重の海側から見ると形も独特の他、岩肌も赤く特徴的な小山です。
もっといい写真があればいいのですが、これしか撮ってなく申し訳ない次第です。
この赤岳ですが江戸期の禁教令が出た後はは潜伏キリシタン信仰の神山として崇められた他、浦上のキリシタンには岩屋山(浦上キリシタンの霊山)を3度登れば赤岳に巡礼したことになり、3度赤岳に登ればローマの教会に巡礼したことになると言い伝えられていたようです。
ちなみに江戸期の樫山地区は佐賀藩領と大村藩領があり佐賀藩領の東樫山には潜伏キリシタンが多くいたようです。
たしかに海側特に西大瀬(畦町)付近から見れば霊山としてふさわしい風格にも見えます。
できればいい写真を撮り直したいぐらいです。
赤岳の地名について考えたいと思います。標高の低い山ですし、江戸期はもちろんキリシタン御法度の時代ですので伊能大図や測量日記、大村郷村記にも記載のない地名です。また現在の地形図にも標高は載っていますが山名の記載はありません。
由来ですが間違いなく赤岳(三重側から見た姿)の山肌(崖みたいに岩が露出しています)が赤いことが由来です。

上記写真は2010年に撮影された三重村樫山郷 赤岳(長崎市樫山町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。赤岳の文字附近に山の山頂があります。近くには三重崎があります。
今日は潜伏キリシタン信仰の霊山、赤岳のおはなしでした。
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