
写真が野母にある後浜、ちょうど長崎バス野母バス停付近から南方向に開けた浜です。現在は浸食のためか護岸工事のためか砂浜はあまり見られません。長崎バスで市内から1時間ほどですが直通バスが減り、ちょっと行きにくくなったことが残念です。

こちらも長崎バスと後浜、以前は道路付近まで砂浜の広がる場所だったのかもしれません。

長崎バス1601号と後浜、こちらは野母らしくスイセンもいれてみました。
さて後浜の地名について考えたいと思います。伊能忠敬の測量日記にのみ記載の地名で今のところその他の文献には見当たらない地名で小字地名にもなく、地形図にも掲載はありません。
地名の由来ですが、野母へバスで行くと車窓から見えないため勘違いしますが、バスからは見えない本来北側にある野母浦(港)が野母の発展に大きく貢献し町を形成しています。その港として発展した野母浦(港)の裏手にある浜であることから後浜と呼ばれていたことが由来と考えられます。
バスから見られるのは野母新港の名の通り後に発展し開発されたことが分かります。

上記写真は2010年に撮影された野母村 後浜(長崎市野母崎町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。野母浦(野母港)の裏手にあるのが後浜であることが分かります。
今日は野母にある後浜のおはなしでした。
この記事へのコメント
あ
脇岬小学校の校歌にも出てきます。
サルル
ブログにも記入しておりますが、伊能忠敬測量日記ではこの野母浦の後ろ側の野母新港方向側を後浜として紹介しておりますのでご了承ください。