
写真は香焼炭鉱のあった安保山と手前が丹馬(たんま)地区にあった炭住アパート(テツゲンアパート)昭和を感じさせるアパート群でしたが残念ながら10年以上前に解体されています。

似た写真になりますが長崎バスが違います。最寄りは長崎バス安保バス停になります。安保(あぼ)バス停も丹馬地区内にあるバス停です。市内から香焼恵里行きバスで40分ほどです。ちなみに伊王島大橋へ向かう道路と恵里地区へ向かう道路の分岐にあります。アパートは無くなっていますがチューリップはまだ現役のようです。

炭住アパートの雰囲気を醸し出していた丹馬のアパート群、ちなみに安保地区にあった香焼炭鉱の歴史は古く江戸期から細々と採掘が行われ昭和39年に閉山になっています。
丹馬の地名について考えたいと思います。字を見たときは「たんば」かと思いましたが「たんま」が正しい読みの地名です。伊能大図に記載はありませんが測量日記には字が違いますが田馬が該当の地名として記されています。名所でもないので長崎名勝図絵や長崎古今集覧に記載はありません。
丹馬(たんま)の由来ですが地形的に見て現在も残る丹馬地区の住宅街は谷地形になっています。恐らく「たにま」が訛り「たんま」となり、当て字が田馬から丹馬へと変化していった地名と考えられます。

上記写真は1975年に撮影された香焼村 丹馬(長崎市香焼町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。まだ丹馬にあった炭住アパート群や炭鉱関連の建物が見受けられます。

上記写真は2010年に撮影された香焼村 丹馬(長崎市香焼町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。丹馬にあったアパート群は撤去された他、恵里地区の建物も随分様変わりしています。
今日は炭鉱の島、香焼にあった丹馬のおはなしでした。
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