奥山(上長崎村本河内郷 奥山)高部水源地奥の集落

今日は本河内にある小字地名奥山のおはなしです。

038.jpg

写真手前に写る本河内高部水源地の奥側の山手にある集落が奥山地区になります。奥山を知ったのは今年で40年になった長崎大水害の際に大きな被害が出た地区でテレビでも当時よく放映されたいたからです。

山に囲まれ川が流れる谷間に土石流が襲い24名の方がお亡くなりになっています。長崎自体水害を受けやすい地形が多いため河川改修等対策はされていますが最近の温暖化の影響による大雨を見ていると今後心配ではあります。

奥山の地名について考えたいと思います。長崎街道からはルートが少し外れているため伊能大図や測量日記にも記載のない地名です。
奥山地区内には妙相寺がありますが長崎古今集覧には妙相寺の記述はありますが本河内内に在りの記述で奥山の地名は出てきません。

奥山の由来ですがまさに字が示す通り、本河内にある奥の方の山にあることから名付けられたと考えられます。街道から外れたいるため他の地区より奥まった山手の地区になったと思われます、もし長崎街道が峠を越えた後に奥山地区を通っていれば別の小字地名だったかもしれません。
明治の地形図を見ると矢上から中尾を通り奥山へ出て長崎街道に合流する道もあったようです。

今日は本河内の奥山のおはなしでした。

この記事へのコメント