女島(深堀村 女島)深堀沖にあった弁天島

今日は深堀沖にあった女島という周囲200メートルほどの小島のおはなしです。

0368-2.jpg

写真は現在の女島周辺、長崎バス香焼線の深堀バス停(長崎方向)後方香焼向きの緑地帯になっている部分が女島のあった場所です。埋立後、高い木が成長し分かりづらくなっています。

0368.jpg

上の写真よりやや広角で撮った写真になります。三菱の建物より手前とバス停の間に当時は見えていた小島になります。女島といっても勿論、女性だけが暮らしていた島ではありません。そういえば長崎には男女群島があるのでそちらの女島の方がとても知名度は高く、こちらは埋立られているので忘れられた島といえるかもしれません。

001-2.jpg

こちらは2022年10月に撮影した現在の女島(弁天島)のえびす様、緑地帯の後に密やかにあり鳥居の横に弁天様が祭られています。

001-3.jpg

こちらも2022年10月に撮影した現在の女島(弁天島)のえびす様

女島の地名の由来について考えたいと思います。伊能大図には辨天島、測量日記には女島一周二町、本名辨財島と記載されています。また長崎名勝図絵では弁天島、香焼島の東にあり一株の松が生え弁財天と石鳥居がある記され、長崎古今集覧には天女島(読みはベンテン)、深堀の前にあり天女祠、石鳥居あり他は長崎名勝図絵と似た記載があります。天女は当て字と思われますがちょっと盛り過ぎ感を感じます。

女島の由来ですがこの島に祀られた弁財天(天女)が由来であることに間違いないでしょう。ところでこの女島ですが埋立ですっかり整地され失われたと思っていましたが、まだ島の由来になった弁天様が残っていることをみさき道人さんのブログで知りました。その記事はこちらになります。コロナ渦で行くことは難しいですが機会があれば写真に収めたいと考えております。

0369-2.jpg

上記写真は1966年に撮影された深堀村 女島(長崎市深堀町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。まだ埋立前で女島の形を確認できます。

0369-3.jpg

上記写真は1975年に撮影された深堀村 女島(長崎市深堀町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。わずか10年ほどの間に深堀と香焼島の海峡は失われ地続きとなり女島の形状も失われています。

今日は深堀沖にあった女島のおはなしでした。


この記事へのコメント