写真は公道から見た三菱重工長崎造船所立神工場、左下に見える道路は公道ではなく造船所内の構内道路になります。
立神地区には通勤時間帯の朝夕に現在も長崎バスが各方面から運行されているほど造船所の中でも中枢になる地域です。
造船工場見学を公道からできるというのは有難いことです、敗戦前までは要塞地帯になったいた長崎ですので、もし戦時中にこんな写真が見つかれば間違いなくスパイ罪で憲兵に引っ張られあの世行きになった可能性があることを考えると平和な時代になったものです。
小字地名の舟場について考えたいと思います。小字地名ですので伊能大図や測量日記、また特別景勝地でもありませんので長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名です。
地名の由来は字の如く舟場、江戸期の埋立前にあった立神浦の船着場(船置場)があった場所が舟場の由来です。現在も船を造る意味で舟置場になっていますので舟場の名にふさわしい地名と言えます。ちなみに立神地区は明治初期に埋立てが始まり明治12年立神第一ドックが完成しているので陸測図を見ても埋立前の立神浦が失われているのが残念なところです。
上記写真は2010年に撮影された浦上淵村立神郷 舟場(長崎市東・西立神町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。造船所の敷地がほぼ埋立地でその周りが江戸期は立神浦と推定されます。
今日は立神にある舟場のおはなしでした。
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