大久保(福田村大浦郷 大久保)稲佐山の福田側

今日は稲佐山の裏側(福田側)にある小字地名のおはなしです。

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写真は長崎バス稲佐山バス停、バス停付近までは旧福田村の領域でそこから稲佐山の尾根筋に沿って長崎市と福田村の境界になっていました。

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稲佐山から見た福田方面、中央右寄り手前側に遊園地のあった大浦(現大浜)地区、奥には福田港と福田本町が見えます。

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長崎バスの終点、稲佐山は1日乗車券範囲内で長崎駅から15分ほどと便利です。1時間に2本ほどあります。歩いても山頂へ行けますが現在はスロープカーも出来ています。バスを降りて福田側に進めばミニ動物園があり広い公園になっています。

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稲佐山バス停より見た北側の現在はドッグランのある小山、この小山(丘)には長崎要塞防空隊の高射砲陣地(6門に高射砲)があった場所になります。

小字地名の大久保について考えたいと思います。山手の小字地名ですので伊能大図や測量日記には記載がなく、また長崎名勝図絵や長崎古今集覧、(大村)郷村記福田村にも記載がない地名です。

本来であれば、境界とはいえ稲佐岳山頂の半分は福田村ですのでこちらも稲佐岳や文字を変えて伊奈佐岳などにしても良かったと思うのですが幕府に遠慮したのか全く違う普通の地名になっています。

由来は恐らくこの稲佐山の稜線の福田側はバス停から公園付近が傾斜も緩やかで大きな窪地のようになっている地形から大久保となったと推定できます。地形的にもあってますので地形に由来したと考えられます。

今日は稲佐山の福田側にある小字地名、大久保のおはなしでした。

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