写真は深堀有海(あるみ)方面より見た女ノ坂方面の写真です。小字地名にもなっていて元は菩提寺や白髭大明神付近から蚊焼方面への道すがらですが、もっと以前は深堀氏の居城である城山への山道が起源になる坂かもしれません。
こちらの坂に関しましては長崎県郷土誌(昭和8年発行)の記載を含め「みさき道人」さんのブログに詳述してあります。
上記のブログを読めば現在も坂の途中には由来にも繋がる首無し地蔵があることが分かりますが、使われることがほぼないためか荒れた山道であることが伺い知れます。
小字地名である女ノ坂の地名について考えたいと思います。小字地名にもなった坂ではありますが、伊能大図や測量日記に記載のない地名です。由来からすると載っていてほしい長崎名勝図絵や長崎古今集欄にも残念ながら該当坂の記載はありません。
由来ですが、やはり女性に関する何か伝承に基づいた坂であることに間違いありません。それを証明しているのが坂にある首無し地蔵で間違いないですが長崎県郷土誌に記載のあるように妊婦が切り捨て後免にあったかは創作の可能性もあるように思えます。
いくら急いでいても妊婦を殺害すれば住民だっていくらなんでも怒り心頭でしょう。江戸期に切り捨て後免の歴史があったことも事実ですが非常に稀だったようですので、女性に関する何か伝承や事実はあったのかもしれません。この坂で何か不幸なことで命を落とすことなど。
今日は深堀にある小字地名の女ノ坂のおはなしでした。
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