写真は岩屋橋交差点付近、長崎バス横にある巨大なサックスがある大橋公園のある付近一帯が馬場後(ばばのうしろ)で浦上川沿いの一部が以前紹介した馬場になります。
この辺りも馬場後、昔は土木事務所前のバス停が両側にありましたが現在は片側だけで名前も長崎振興局になっています。
岩屋橋交差点付近、この近くにある塾に2年ほど通ったこともあり親しみを感じます。角にあった本屋でよく立ち読みしました。それにしても明治の地形図を見るとこの一帯すべて水田で今ではとても想像できません。
岩屋橋と言えば、ここから路面電車は国道を横切り専用軌道に入ります。左側の角地にある白い建物が昔は本屋さんでした。本屋さんも最近は随分減ってしまいましたね。
花壇があったころの岩屋橋付近、親しみを感じている場所だけに割合多めの写真を撮っていました。
さて小字地名「馬場後」の地名の地名について考えたいと思います。小字地名ですので馬場同様に伊能大図や測量日記に記載はありませんし、長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名です。
由来ですが馬場という地名の後側にあることが由来しています。昔の地形図を見ると浦上街道の川沿いにある馬場集落の後側にある水田地帯で特に集落もなく馬場後と極めて安易な地名となっています。現在のように国道沿いに街が発展するとこちらが前で川沿いが後ろにも見えてしまいます。それだけ時代によって価値観も変わるのかもしれません。
こちらは明治34年陸測図「長崎」より(今昔マップ on the webより)貴重な明治期の家野郷周辺の地形図、馬場周辺(岩屋橋付近)の集落意外ほぼ水田地帯であることが分かります。
今日は山里にあった馬場後のおはなしでした。
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