
炭鉱が閉山してもまだヤマへ下る道は残され、看板の字は年々薄くなってきていると思いますが行きに「ご安全に」帰りには「ごくろうさん」のいかにもヤマらしい看板が残されています。

ヤマへ道は海へつながる道、外海の海は美しい

こちらは集落側に向いた「ごくろうさん」看板、きっとヤマで働いた人々もこの看板をくぐりほっとして家路についた方も多かったかもしれません。
小字地名の「山道」について考えたいと思います。小字地名の特に多い神浦でもありますので伊能大図や測量日記、また(大村)郷村記神浦村にも記載のない地名です。
由来ですが恐らく道を下れば炭鉱(ヤマ)ですのでその炭鉱(ヤマ)への道として名付けられたと考えられます。一応、近くに展望台もあり多少標高もありますが特に反対方向の四方岳に比べても山とはいえず、やはり炭鉱のヤマを意識した地名と思われます。

こちらは1975年、昭和50年代初頭に撮影された神浦村池島郷 後道(長崎市池島町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。画像①は池島小中学校、⓶は四方岳、③は新店街付近になります。山道は画像の左側になあるアパート群近くにある地名です。
今日は池島「山道」のおはなしでした。
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