写真は浦上川より見た大筧(おおどい)山、写真左側の山になります。
別角度の浦上川から見た大筧山、西浦上小学校の奥に見える山です。西浦上小学校の旧校舎も今は取り壊されたようです。
大筧山の地名について考えたいと思います。小字地名でもなく、地形図にも標記の無い山で、伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵にも記載がなく唯一江戸期の長崎古今集覧に記載のある地名です。西浦上に長く住んでましたが聞いたことがない山ですので現在使われることがない忘れられた地名(山名)だと思われます。
大筧山の由来ですが長崎古今集覧では、山の下の南北に数百の水田があり浦上川より水を引く筧がある等の記載があり、この周辺が江戸期までは少なくとも浦上川沿いに多数の水田があり、その水を引き込むための筧(樋)があったことが山の由来になったことが分かります。現在も大井手の地名が残るだけに井手、樋、どちらも水田に水を引き込むことに因んだ地名であることが分かります。
上記写真は2010年に撮影された西浦上村家野郷 大筧山(長崎市昭和町附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。西浦上小の川向で浦上ダム取水口付近にある山になります。
今日は西浦上にある大筧山のおはなしでした。
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