子捨川(三重村三重田郷 子捨川)三重と黒崎の境にある小字地名

今日は意味深な三重と黒崎の境界にある小字地名のおはなしです。

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写真は三重田にある子捨川河口部、昔は川沿いに水田があった場所です。現在河川名はなぜか杉谷川、意味深河川名故の改称かもしれません、ちなみに小字地名の子捨川は2つ存在し黒崎村永田郷と三重村三重田郷の両境にある小字地名です。宮城県にも児捨川があるようですが現在は橋梁名として残っているようです。

今では何もない原野が広がり遠くには外海が望めますが寂しさを感じる風景にも見えます。現在、三重の樫山までは長崎バスも直通していますが、三重田からは直通バスも減って桜の里Tで大瀬戸方面行き乗り換えが必要な地域です。

小字地名「小捨川」の地名について考えたいと思います。小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載はありませんが、(大村)郷村記三重村と黒崎村には両村の境界のため子捨河の記載があります。由来ですが恐らく文字通り子供を捨てる風習、あるいは過去にこの川に子供が捨てられた等、子捨に因んだことが由来の地名と考えられます。隠れキリシタンの里、外海周辺は決して豊かな地ではありません、江戸期にここから五島へ移住した方が多くいた歴史もあります。

今でも残念ながらニュースで見ることがある子捨てですが、今と違って貧しい時代は間引きなどの言葉があるように貧しい村では生き延びるためにそのような風習があった言い伝えがあるのも事実です。そのあたり平凡社出版の「日本残酷物語全5巻」を読むと理解しやすいかもしれません。民俗学者の宮本常一氏や山本周五郎氏などが書き手で読みごたえがあるいい本です。

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上記写真は2010年に撮影された三重村三重田郷 子捨川(長崎市三重田町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。黒崎と三重の間にある三重田町、近くには仏崎があります。

今日は三重と黒崎村の境界にあった子捨川のおはなしでした。

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