
写真は樫山郷より見た御岳、標高以上に存在感のある素敵な山です。頂上は眺望がきかないようですが(大村)郷村記三重村にも記載がある毘沙門天を祀った祠が今もあるようです。郷村記には例祭が3月18日、8月18日で文化元年、三重、黒崎、京泊浦中より建立、石鳥居天保6年氏子寄進と云ったことが記されています。
小字地名でもあり山名でもある御岳の地名について考えたいと思います。伊能大図には記載はありませんが測量日記には三重崎が大嶽の下と記載があり恐らく御岳の当て字により違いと推測できます。また(大村)郷村記三重村には毘沙門天の他にこの御嶽(郷村記ではこちらの字)に狼煙場があり、長崎異変の節は式見梟岳の火を請て狼煙を挙げ村中に知らせるなりと記載があり、長崎からの変事の場合に村内に知らせる狼煙場であったことが記されています。
御岳の由来ですが岳はもちろん山で御は恐らく山への敬意や畏怖からと考えられ村内でも目立つ山容ですので親しまれていたことを伺い知れます。木曾の御岳山と似たような由来と考えられます。
今日は三重にある御岳のおはなしでした。
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