
写真は木鉢界隈を走る長崎バス、写真の木鉢浦対岸(西泊側)の白頭山(天門峯・しらと)山の山腹にあった小字地名です。
それにしても梅干の田とは不思議な地名です。ちなみに地名の田(た)には方向を意味するものや耕作地、多い意味での多の当て字なども考えられますが梅干は加工品だけに梅干を多く生産していた区域だった可能性はありそうです。
早速ですが小字地名「梅干田」の地名について考えたいと思います。小字地名のため伊能大図や測量日記、長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名ですが、珍しいことに福岡黒田藩の長崎御台場御固場御陣場絵図に中に字梅干の記載があります。
江戸期は梅干田ではなく単に梅干の地名だった可能性が高そうです。また江戸期この木鉢郷の梅干よりやや下手にあった道生田焔硝蔵の道生田の小字地名は近代になり消えていることを考えると(時代を経るごとに消える小字地名も見受けられます)、小字地名「梅干田」は時代は分かりませんが、梅干と道生田の合成地名の可能性が高いように思えます。
残念ながら経緯等は分かりませんが、江戸期に梅干という地名があったということはこの附近で周辺に梅畑があり梅干を生産していたり、梅干名人がいたなど梅干に因んだ何かがあったことは間違いないでしょう。近くに西泊番所、小瀬戸番所などがあったので需要もそれなりにあったのかもしれません。
今日は木鉢にあった不思議な小字地名のおはなしでした。
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