橘島(下岳村白崎郷 橘島)大村湾に浮かぶ小島

今日は大村湾にぽつんと可愛らしく浮かぶ小さな島のおはなしです。

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白崎郷から見た橘島、小さな島ですが友人島らしく家や船が見えます。とっても素敵な島に思えます。
場所は西彼の母衣崎や四本堂公園手前に見える島です。以前は長崎バスの下岳経由の大串行きが延長される形で1日1往復だけですがこの付近の四本堂公園まで運行されていましたが現在は廃止され現在は下岳より歩くしか交通手段はありません。

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波静かな大村湾に浮かぶ橘島、周辺の集落も実にいい雰囲気です。

橘島の地名について考えたいと思います。島の1周は250メートルほどの島ですが伊能大図に記載され、測量日記にも橘島は一周二町二十間四尺と記載されています。また(大村)郷村記下岳村には雑木立の嶋也、井石兵衛請山四畝ありといった記述が見られます。恐らく大村藩主の土地(島)を井石兵衛が貸与する形で利用していた(あるいは生活していた)ことが伺い知れます。

橘島の由来ですが橘はミカン科の柑橘系植物ですので島に自生していたまたは借り受けた借主が植えたなどの植生が由来と考えられます。

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上記写真は1975年に撮影された下岳村白崎郷 橘島(西海市西彼町白崎郷)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。周辺には母衣崎や四本堂公園があり景色のいい処ですが路線バス空白地域です。

今日は大村湾に浮かぶ小島 橘島のおはなしでした。

付記、後日郷村記下岳村に記載の井石家の方からコメントを頂き、井石家が江戸期の大村喜前の時代より以前は橘姓を名乗っていたことをご教示頂きました。断定はできませんが、橘島の由来がこの井石家の旧姓に因んで名付けられた可能性も充分ありそうです。

この記事へのコメント

  • 井石家末裔

    この下岳地域は江戸時代、大村藩家臣井石家代々の領地でした。井石家の先祖は橘の諸兄王で鎌倉時代まで橘姓で、江戸時代の大村藩初代大村喜前の時代から井石の氏を名乗ります。橘の姓を大切にしてきた家系ですから地名や寺社には橘の名を残してきました。兵衛は、井石家で代々使われた実名で江戸時代中期から後期に渡る井石家7代、8代、9代、11代、12代の当主の名です。子孫は日露戦争の頃になると下岳を手放して長崎市に移り住みました。下岳にはそれまでおよそ300年の井石家の歴史が残っています。
    2023年06月12日 01:27
  • サルル

    井石家末裔さま

    このたびはコメント頂きありがとうございます。
    郷村記は一応読んでますが井石家と橘姓の関係があったことは知りませんでした。ご教示ありがとうございます。
    2023年06月14日 06:52