屏風岩(西浦上村三組川内郷 屏風岩)西山街道沿いの岩峰

今日は三川町にある地元では屏風岩と呼ばれる地名についてのおはなしです。

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写真は屏風岩、時津にある鯖腐岩に負けない存在感ある岩峰です。長崎バス住吉経由の三川、西山台行きのバスの車窓からも見えます。薬師如来を祀ったお堂が写真の下方部にありますが電線が邪魔なので写していません。

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存在感ある屏風岩、近くは川沿いの住宅地になっています。また近くを長崎本線肥前三川信号場があり、信号場をつなぐ斜坑口があります(もちろん立入禁止)最寄りは朝日橋バス停になります。ちなみにこの屏風岩、江戸期は長崎と西山~長与~本川内~舟津までの西山街道沿いにありきっと通行人も見上げたことでしょう。

屏風岩の地名について考えたいと思います。内陸側の地名ですので伊能大図や測量日記に記載はもちろんありませんが、長崎名勝図絵や長崎古今集覧には毘沙門嶺として大村領内の西山道沿いにある危岩として紹介されています。

また(大村)郷村記浦上木場村には三組川内 薬師如来、例祭9月8日、当社建立年号不知、元は家野村岡本と云う処ありなど記されています。また薬師如来の後に大岩あり此岩絶壁に屏風たるか如し、故に屏風岩と云、又八間岩とも云、頂上に松弐本ありと記載があります。

由来はまさに郷村記記載の屏風のように見える岩が由来であることで間違いないでしょう。

今日は三川にある屏風岩のおはなしでした。



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