写真はツイ堂付近、昔は三菱長崎兵器製作所大橋工場のあった場所で、なんとなく外壁がその雰囲気を伝えているようにも感じます。
路面電車とは反対側の通りで純心高経由の路線バスが通る通りです。長崎大学がありますので人通りも賑やか、車の通りも長崎バイパスから市内へ向かう車で賑わう通りです。
小字地名ツイ堂の地名について考えたいと思います。小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載はなく、長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名です。また(大村)郷村記には当然ですが浦上山里村は天領のため記載はありません(浦上家野村は大村藩領)
地名の由来ですが、ツイは対で2つとも考えられますし、浦上川が傍にあることを考えると水田に水を引くための樋がツイに転訛した可能性もありそうです。堂ですがお堂の可能性もあるかもしれません、近くにはサンタ・クララのお堂があります。しかし堂は当て字で元は道の意味で使われた可能性が高いように思えます。
明治の陸測図を見るとちょうどこのツイ堂付近がちょうど現在の純心高通りと本原方面へ向かう道の分岐点があり二つの道があります。その二つの対になっている道としてツイ道と地名がなり当て字に堂が当てられツイ堂になった可能性が高いと推定されます。
今日は長大裏門付近にある小字地名のおはなしでした。
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