写真は、長崎バスの車窓から撮った野嶋、市内から福田経由の柿泊行きに乗ると福田から峠を越えて小江方面へ降りる際に野嶋を見下ろすことができます。
こちらも長崎バスの車窓より見た野嶋、自然林が素敵な島らしく現在も野島樹叢として長崎市指定天然記念物に指定されています。とは言っても観光客が訪れることは恐らくないでしょう。
小江郷の島だった野嶋の地名について考えたいと思います。
それなりに大きな島ですので伊能大図や測量日記に記載のある島で、野嶋、一周3町ばかりといったことが記されています。長崎名勝図絵や長崎古今集覧に記載はありませんが、(大村)郷村記福田村には箟(恐らく「のだけ」)嶋と記載され、松木立の用山、昔は竹多くも今は枯れ松山となるといったことが記されており、従先規用竹林と定む、依って箟嶋の名ありと由来も記されています。
由来は恐らく郷村記に記されている通り、元は竹林があったことで野竹の自生する島といったことから箟島(のだけじま)と呼ばれ竹も枯れなくなったことから野嶋へと転訛したものと考えられます。可能性は薄いですが標高45メートルほどあるので岳の意味もあった可能性はありそうです。
上記写真は1975年に撮影された福田村小江郷 野嶋(長崎市小江町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。まだ埋立前で島の形や海岸線も昔の形を残しています。
上記写真は2010年に撮影された福田村小江郷 野嶋(長崎市小江町附近)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。埋立後、野嶋は島でなくなり陸続き、周辺の海岸線を含め大きな変化が見られます。
今日は旧福田村小江郷にある野嶋のおはなしでした。
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