山伏鼻(香焼村蔭ノ尾 山伏鼻)100万トンドックで消えた岬

今日は香焼にあった岬のおはなしです。

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写真は船上から見た現在の蔭ノ尾島、島北端の江戸期に台場があった部分はかろうじて残っていますが大部分は埋立後の三菱造船所香焼100万トンドック建設で消失しています。ちなみに山伏鼻(小字地名は山伏松)のあったのは写真右側のドックにあるクレーンの三菱マーク下周辺になり全く痕跡がありません。

蔭ノ尾島の岬でした山伏鼻の地名について考えたいと思います。
江戸期には台場、戦時中も長崎要塞の砲台(20ミリ機銃6問)が築かれた長崎港警備の要地ではありますが、伊能大図には記載はなく測量日記に記載はありますが西出崎と別名で記されています。長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名です。

岬の由来ですが、山伏が修行するなど何か山伏に因んだ岬と推察できますが具体的な事は残念ながら不明です。ちなみに漁業の島で隠れキリシタンが多く住んでいた島のようです。ちなみに伊能忠敬測量日記にある西出崎の由来は、島の西側の突き出た岬の意味で位置的地形的要因が岬の由来になっています。

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こちらは昭和47年発行の地形図より蔭ノ尾島周辺の地形図「今昔マップ on the web」より、山伏鼻の岬名が唯一記載されている地形図です。

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上記写真は1975年に撮影された香焼村蔭ノ尾 山伏鼻(長崎市香焼町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。()は伊能忠敬測量日記記載の地名になります。昭和45年の集団移転まで100世帯ほどが暮らした隠れキリシタンの島でした。

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上記写真は2010年に撮影された香焼村蔭ノ尾 山伏鼻(長崎市香焼町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。三菱造船所(現大島造船)100万トンドックの影響で北端を除き山伏鼻を含め消失したことが分かります。山伏鼻やツワラノ鼻は推定位置になります。

今日は消失した蔭ノ尾島の岬のおはなしでした。

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