五島航路越しに見る岩瀬道郷、三菱本社屋手前が身投崎(石)があった場所で現在は削られ横長の建物になっています、また横にある大型船岸壁が向島岸壁になります。
同じくクルーズ船越しの岩瀬道郷、江戸期には長崎港警備のための岩瀬道台場(備場)が設けられた場所です。
岩瀬道郷内からみた小字地名陣馬、先端部分の建物附近が身投石があった場所と推定されます。江戸期は岩瀬洞(道)、身(三)投石ともに長崎名勝図絵や長崎古今集覧に紹介され名所だったことが分かります。残念ながら現在は三菱長崎造船所の敷地内のため立ち入りができません。
岩瀬道郷の小字地名「陣馬」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載はありませんが、伊能大図には身投崎並びに身投石が記載され、測量日記には八軒屋身投崎。左の山上に新御台場(恐らく備場)、また身投岩高さ三十三間といったことが記されています。
地名の由来ですが、1807年ロシア船打払い令後、長崎港警備が強化され台場のほかに新備場が7か所設置されたひとつが岩瀬道にあり、警備に当たる戦に備える陣所があったことが由来と考えられます。
上記写真は2010年に撮影された浦上淵村岩瀬道郷 陣馬(長崎市岩瀬道町)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。現在は三菱長崎造船所敷地内がほぼ岩瀬道郷(岩瀬道町)です。最寄りは長崎バス岩瀬道町バス停
今日は岩瀬道郷にある小字地名のおはなしでした。
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