万畠(茂木村千々名 万畠)昭和27年閉校 千藤小学校

今日は茂木千々にある小字地名のおはなしです。

0827.jpg

小字地名「万畠」、千藤小学校の記念碑があるほかは、1軒の果樹園がある程度で静かな地域です。場所は千々と藤田尾のちょうど中間付近にあり千藤トンネル手前付近になり長崎市コミュニティバス沿線ですがこの付近は残念ながらバス停が全くありません。

千藤(ちとう)小学校ですが元々は同じ茂木村内の千々名と藤田尾名の子供たちが通う学校でした。ちなみに藤田尾名は昭和22年に隣の為石村に編入します。昭和27年には隣の宮摺名と大崎名の児童が通った大宮小と同じく閉校になった歴史があります。

千藤小学校が無くなったことで新たに誕生した千々と大崎の児童生徒が通う南小中学校も残念ながら昨日閉校式があったようで少子化過疎化の現実を見る思いが致します。

千々の小字地名「万畠」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載はなく、長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載がない地名です。

地名の由来ですが万は恐らく非常に多い意味で、畠は文字通り畠です。今も果樹園が広がる地域ですが昔も何か作物を植えた畑が多数あったことが由来と考えられます。昔の地形図を見るとこの付近には木場の地名が見られることから昔は焼畑の畑が多くあった地域だと思われます。

今日は千藤小学校のあった万畑のおはなしでした。

この記事へのコメント