写真は大草の小字地名「浮津」付近、近くには諫早市立琴海中学校があります。周辺は大村湾に面し伊木力川をはさんで伊木力と大草の旧境ちかくにあります。江戸期には浮津大明神がありましたが1675年に疱瘡が流行り神のお告げにより現在の西園地区に移転し疱瘡は収まったようです。その後、大草の鎮守「十六善神社」として現在も崇められています。
大草の小字地名「浮津」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですので伊能大図に記載はなく、佐賀諫早藩領のため残念ながら(大村)郷村記にも記載のない地名です。
地名の由来ですが、浮きは恐らく周辺が現在も大村湾沿いの水田地帯であるように伊木力川沿いの湿地のようなぬかるむような地質から浮きとなったと考えられます。津はもちろん港で、大村湾沿いの湿地近くにある小さな津(港)から浮津となった可能性が高い地名と思われます。
今日は大草にある浮津のおはなしでした。
今日は大草(多良見)にある小字地名のおはなしです。
写真は浮津付近、諫早市立琴海中学校付近の小字地名で昔から大村湾に面し伊木力川沿いの水田地帯だった処で、今も水田がある地域です。
江戸の初期には浮津大明神がありましたが疱瘡が流行した1675年に神のお告げにより村内の西園へ移転し疱瘡の流行は収まったようです。現在は旧大草村の鎮守「十六善神社」として崇められています。
大草の小字地名「浮津」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですので伊能大図に記載はなく、諫早藩領のため残念ながら(大村)郷村記にも当然記載のない地名です。
地名の由来ですが津はもちろん港、大村湾に面した小さい港だったと考えられます。浮きは、今も伊木力川沿いの水田地帯ですので元々は湿地で泥のぬかるむような地質からそこ、またはその近くにある津(港)から浮津となった可能性が高いとおもわれます
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